東京でお菓子教室をやっていたころのことです。
ある日、ひとりで教室の準備をしていたら、ドアを叩く音が聞こえました。ドアを開けると、当時の私より、20歳くらいお姉さんかな、と思われるマダムが立っていました。
「こちら、お菓子教室ですよね? 先生いらっしゃいますか?」と言われ、「えっと、私が教えてるんですけど……」と言うと、「あら、そうですか」とおっしゃって、ずんずんなかに入ってこられて「喫茶店をやりたいので、教室に通いたい」とのこと。
教室の説明をしていると、マダムは私の話を遮って、「私、別にいろんなお菓子を習いたいわけじゃないんです。すごく美味しいお菓子を、ひとつだけ作れるようになって、それを喫茶店で作って出したいので」とおっしゃいます。
「そのすごく美味しいお菓子って……なんです?」と聞くと、マダムはあきれたように「それをあなたに習いたいんです!」ときっぱり。
思わず、「えええ! そんなものあったら、私が教えて欲しいです!」と言ってしまいました。
あとから考えると、尻尾まで餡子が入っている鯛焼きとか、3日間かけてじっくり作るタル
トタタンとか、それひとつを作り続けて何十年、愛され続けて何十年、みたいな銘菓をイメ
ージしていらしたのかもしれません。そんな逸品を習得したいと思って、わざわざ私のところに来てくださったのでしょう。
でもそれって、まあ最初は基礎を誰かに習ったとしても、みんな自分でとにかく作って作って、そして完成品を極めていく感じではないのかな? その日々の積み重ねが努力として形になったときに、みんながそのお菓子に興味を持ってくださって、食べたいと思い、お客様になってくださるのではないでしょうか。
その後、あのマダムがもう一度、私のまえに現れることはなかったので、そのあと彼女の喫茶店がどうなったのかはわかりません。
マダムがイメージする、よい教室はあったのかな?
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